曇り時々雨のお散歩

 この三連休は珍しく活動的に過ごしたので、いつもより詳しめに日記を書いてみようと思い立ちました。秋ぐらいからずっと日記をまた出したいと思っていて3本くらい書きかけてたんですけど、全部季節がズレてしまいましたね。書きたかったことは、変わらなかったらそのうちいつか書くでしょう。

土曜日:李禹煥展へ

 行くまでは、以前ナムさんが名前を挙げたことがある美術家の1人という認識でしたが、帰り道で調べていたら、ナムさんは釜山市立美術館にある好きな作品まで上げていました。ナムさんは「風」が好きだそう。李禹煥氏の作品には「風」という名前の作品は無く、「風より」、「風と共に」、「東の風」などがあって、「이우환  바람」と調べると‘바람’ 연작('風' 連作)がヒットするんですが、私の力不足でそれが正確にどれを指すのかは分からず……分かる方いたらよろしかったら教えてください。東の風は含まれるみたい(検索ではオークションで落札された記事がたくさん出てきます。))

https://www.instagram.com/p/Byr2w9IprA9/?utm_source=ig_web_button_share_sheet

お寺の件があったので、ナムさんが行った場所を気安くシェアすることに少しためらいを覚えますが、これはBTS RMと署名しているので大丈夫かな……と思って書きました。

 前置きが長くなりましたが、展示は、私にとってはミニマリストの部屋を見ているような落ち着きを感じる空間でした。私がミニマリストにいちばん憧れていたのは中学生の頃ですが、今でもぼんやりとした憧れはあります。部屋、ずっとモノばかりですが。ミニマリストの部屋と称されるところにある、規則的な雰囲気が好きなんだと思います。それから、李氏のやりたかったことと使用した表現方法が、年代ごとにものすごく綺麗に整理されていて、ひとつの美術史を習っているような気分で音声ガイドを聴いていました。悪い意味ではないです。私は勉強は嫌いではないので。好きだったのは、《関係項―棲処(B)》と《線より》、《関係項—サイレンス》、対話と応答シリーズなどです。《関係項―棲処(B)》は中庭のようなところに設置されていて、地面には石が敷き詰めてあり、歩くとガタガタといい音がして、足元がおぼつかないような、普段あまりない体験にワクワクするような、不思議な気持ちになります。平べったい石のタワーもあり、ちょうど雨の日だったので、濡れたところと濡れていないところがあって綺麗でした。《線より》は行く前から知っていた作品で、時間を紙の上で表したかったとのこと。なるほど……と思いつつ、滝みたいと思いながら眺めて、その手で書かれながら規則的なところが気に入りポストカードも買って帰りました。《関係項—サイレンス》は真っ白なキャンバスを眺める石、という構図でかわいかったし、対話と応答シリーズは、キャンバスの上で、キャンバスを越えておしゃべりしているようなカラフルなグラデーションたちがかわいかった。作品の上で、作品が置かれている環境と、影響し合うものを表現しようとしている作品ばかりだった気がする。氏がやりたいこともそのようなことみたいです。記事で「余白の機能がない空白、ただ空白であるだけのものではなくて、描いていないにもかかわらず、描くことと描かないこととの激しい競り合い、引っ張り合いによって響きが出てくる。(中略)より大きな広がりを感じさせるといった現象に『余白』という言葉をあてはめたい。」と言っていたのが面白いなと思いました。

作品の写真が気になったら、以下の記事のどこかには載っているはずです。

60年以上にわたる李禹煥の創作の軌跡。国内では17年ぶりの大規模個展が国立新美術館でスタート|美術手帖

「李禹煥」大回顧展(国立新美術館)速報レポート。描くことと描かぬことの関係性から広がる無限の表現へ|Tokyo Art Beat

展覧会構成 | 兵庫県立美術館開館20周年記念 李禹煥 Lee Ufan || 兵庫県立美術館

「作らないこと」を続けてきた李禹煥の回顧展|青野尚子の今週末見るべきアート | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

 美術館を出たあとは、横にいた人たちが散歩する?などと話していたのもあって、お散歩がしたくて、美術館の横の海沿いを気が済むまで歩いていました。ここしばらく歩くことにはまっています。というのも、以前SEVENTEENのライブに2日連続で行った時に疲れすぎてしまって、自分の体力の無さを痛感するとともに、2月にも2日連続でライブに行く予定なので体力をつけなくてはいけないが、筋トレはしたくないという打算的なものが働いているからです。何もしないよりマシだよねと思いつつ、歩くのは疲れていなければ好きなので、好きな曲を聴きながら、曲がりたい道で曲がり、疲れたらそのまま帰るし、迷ってもスマホあるし大丈夫という気ままなお散歩をしている。私はこれくらい自由なのがいいです。

日曜日:高校の同窓会へ

 母のワンピースドレスを借りて、前日まで自分でやるつもりだった髪の毛は急遽見つけた美容室で生まれて初めてセットしてもらい、かわいく仕上がったので満足しながら、高校ぶりに会う人がほとんどの会場へ。人の洋服と髪型見るの楽しかった。レースたっぷりのドレスも見るのが楽しかったし、よく見る形のドレスじゃなくても、自分に何が似合うか分かっているんだろうなぁと思う服や髪型を見るのも楽しかったです。中学時代の方がよく喋ったなぁという子や、インスタなどで楽しそうなことをしていた子にも気軽に声をかけられて嬉しかった。リア垢のTwitterでは最近怒っていることが多いので、それを知る少数の人々には、会うと~ちゃんって感じなどと言われてウケていたし、二重人格ですみたいな言動をした自分にもウケていた。まぁ一応全部私です。

 同窓会が終わった後は、今でも遊ぶ子と二人でカラオケに行き、各自好きな曲を歌っていた。私はとにかく強くなれる曲ばかり歌っていて、カラオケを出た時には最強人間ができあがっていました。ラップ部分をもっと練習したい。あと、ルセラのANTIFRAGILEが案外歌えたとともにめちゃくちゃ楽しかった。本人映像の本人歌唱だったのでユンジンさんにかっこいい!とか言っていました。途中でテイラーのLove Storyを、歌詞は共感できないんだけどかわいいよねとか言って歌ったりもしていた。コナンのいちばん有名な曲、カラオケで聴く度に歌詞あったんだってびっくりしている気がする。いい加減慣れてください。

月曜日:映画へ

 私は(私基準で)朝早くに髪を切りに行って、セットして貰ったままでどこかへ行くのが好きなので、今回もそのパターンで行動しました。30㎝ほど切った後にずっと見に行きたかった「そばかす」を見に行きました。そういえば、美容室で出して貰った雑誌をパラパラしていた時に、三浦透子さん(主演の俳優さん)のインタビューが載っていて、偶然ってすごいと思っていた。頭が軽くてるんるんで向かいながら、地味に迷った代わりにブランコがある公園を見つけて、ずっとブランコに乗りたいことを思いだしたりもしていた。絶対持って行こうと思っていたハンカチを忘れてマスクをグショグショにしながら、パンフレットを買い、結局思い切りブランコを漕いできた。ひとりでブランコを漕ぐ大人?が怖かった子どもたちいたらごめんね、まぁ私はちっちゃいのでせいぜい高校生くらいに見えないかなと都合のいいことを考えながら漕いでいた。今日見つけたんですけど、足首を組みながらブランコを漕ぐと、重心がまとまった感じがして少し漕ぎやすくなる気がします。でも朝からずんだ餅一個しか食べてないお腹で乗ったので、しばらくして酔ってしまいそれでお開きになりました。以下、そばかすの感想を書くので、ネタバレを見たくない方は1段落分飛ばしてください。

 好きなところは、作中何度かあった佳純が海でひとりぼんやりとしていたシーンと、佳純が、自分がチェロを弾いていたのは人の声に似ていたからなんだな(ニュアンス)と言っていたところ、佳純と真帆ちゃんが行ったキャンプで、夜に目が覚めた佳純がいない真帆ちゃんを探しに行くと、ひとりで渓流を眺めていて、佳純を見て笑顔で手を振ったところです。ラーメン屋のお前はどうせそうなると思っていたと思ったり、あれをこれするだか、これをあれするだか言った議員にはケッと思って、よく分かってない、よく分かんなくても生きてこれてる感じの描写上手いなぁと思ったりしていた。あの海いいなぁ。どこの海でしょう。穏やかな波と、お天気!!!みたいな太陽じゃなくて柔らかな光がとても好きでした。それから、佳純が同級生からゲイであることをカミングアウトされた時、真帆ちゃんが佳純から恋愛感情も性的欲求も抱かないと言われた時にそれぞれ言っていた「そうなんだ」が好きだと思っていた。それからなんの文脈も無いですが一番笑えたのは、佳純が保育園で誰くんが誰ちゃんに振られたんだってとかやってる時に、誰ちゃん連れてきた~と言っていた子に「なんで連れてきちゃったの!?」って言ったところです。チェロのくだりは思い出すたびに胸がギュウとなります。上手く話せなくても、話したいことがない訳じゃないし、きっと佳純は話したくないわけでもないんだと思った。シンデレラを見ながらマレフィセントStray KidsのChristmas EveLを思い出したりしていた。話ズレますが、Christmas EveLのチッケムを永遠見ています。歌詞が有難くて、振り付けも表情も全部かわいくてありがとう……。話を元に戻して……、羊文学の塩塚モエカさんが楽曲提供して、三浦透子さんが歌っている「風になれ」

open.spotify.com

も良かった。羊文学さん、やはり他の曲も聞かなくてはと思う。「光るとき」が大好きです。というか、帰るまでなんでそばかす?と思っていたんですけど、さっき蘇畑佳純をひらがなで検索しようとして気が付きました。自分遅すぎる。

それから近況です(まだあるんだ)。

 最近は、三木那由他さんによる『言葉の展望台』と柚木麻子さんによる『マジカルグランマ』を読み終わりました。『言葉の展望台』の、ご不快構文は、具体的にどんな約束事(これから自分はこう振舞うということを、自分だけじゃなく他人の前で表明すること)をする謝罪なのかがはっきりしないからではないか、という部分、自分に当てはまらない言葉を、そのことを知った上で「□□なら△△であるはずだ」という帰結を引き受ける意思表示として使うことという部分が特に印象に残っています。それから『マジカルグランマ』については、私はマジカル~という表現を恥ずかしながらこの本で知ったのですが、なんかもう!ほんとうにさ!みたいなことがたくさん書かれててありがたかった。問題点を知りながら楽しむこと、そしてそれと問題を矮小化させないことの両立は可能なのか、とか、結局世間で認められている、求められている規範に従って行動することで他の誰かを踏みつけているかもしれないことなどを考えていた。

 それから、ずっと書こうと思っていたウヨンウの長文感想を最後に付け足して終わりにします。結構前に書いてたやつ。Twitterに上げるには長すぎました。やはりネタバレを含むので、見たくない方は飛ばしてください。

 見始めたのは多分6月とかなので5か月くらいかかってた。前半は一瞬で見ていたんですが、後半に主に時間がかかっていましたね……。たぶん私は、ヨンウの側に立つ人たちとヨンウの関わりを見たかったから、前半がめちゃくちゃ好きなんだと思います。チェ・スヨン、本当に好き……強く、優しく、正しい……おかしいことをはっきりとおかしいと言い、困っている人を見たら助け、本当になりたい人だった。春の日差し……。ヨンウを手伝うスヨンを見ながら優しい……となりつつも、これは優しいと言っていいのかなと思ったりする。でも、ヨンウが困っていることに敏感な人と、そうではない人がいて、それはその人が環境の影響を受けたり、自分で努力したりして作り上げたものだろうということを考えていた。後ろの方は、ヨンウのキャラクター性と登場人物同士のドラマ中心になって、あんまり人の関わりが見れなくて少し悲しかったんですが…。それから、あの父親とテサンとハンバダのトップは何なんだろうと思っていました。人を物みたいに扱わないでほしい。一方、私はハラハラするのがものすごい苦手なので、鯨やイルカが出てくるたびに、ああもうこれで解決へ向かうと思って安心して見れたりもしていました。見始めた当初から、例えばヨンウは自閉スペクトラム症ではあるけど、首席卒業だったり、司法試験満点だったり、他の人より圧倒的に能力的に優れていることが、認められる理由になっているのは引っかかる。それはハンバダやドラマを作る方にとってものすごく都合がいい設定なんじゃないだろうかくらいは考えていたんですが、例えば3話のすごさはそれを指摘している文章を読んでからしか気づけなくて、もっと勉強しなくてはいけないと思った。それからヨンウが「大丈夫です。自閉症があるので。」ということを言う度に、彼女は何を見たり、聞いたりして、大丈夫と言うようになったのだろうというようなことを考える。それから、他の登場人物がヨンウの状況に鈍感だと思うとき、きっと私はこうやって見ているからで、きっと私は実生活の中だったら数倍は鈍感に生きているのだろうと思う。

 前にお友だちとおしゃべりをして、私は何に怒っているの?と聞かれて、その時はパッと答えられなかったのだけれど、ひとつは誰かの生きてく上での選択肢を狭めたり、否定したりすることに対して怒っているのかもしれないというところまでは来ました。

 最近はエイヤッと投稿しているので、これはちゃんと読み返して投稿します。そろそろ後期試験が近づいてきているので、1か月ほどまたいろいろに追われながら、すべてをギリギリで片づけていくんでしょうが、少しはちゃんとやりたいですね……。あと1か月耐えたらライブが!あるので!生きます!今学期、いろいろ諦めそうになっているので、やらなきゃいけないことを少しがんばることを目標にしようと思います。ここまで読んでくださってありがとうございました。

東京旅行

 9月半ばに行ってきた東京旅行の備忘録です。

 主に行ったのは、ナムさんが行っていた国立近代美術館、ヒョンジンさんが行っていたSOMPO美術館と新宿御苑です。SEVENTEENが行っていた渋谷あたりも行きたかったのだけど、時間がなくて行けなかったのでリベンジしたい。

 もともとはそんなに行くつもりはなくて、行かない前提で無い計画を立てていたら、あまりにウキウキしてしまって、しかもお二人とも特別展に行っていらっしゃったので(常設展も行ったみたいですが)、これを逃したら二度と同じ景色は見られないんだと思ったらもう行くしかなかった。思ったより台風が直撃する日程になって、帰りの高速バスが最寄り駅にたどり着くまで、帰れるかが心配で精神衛生に悪かったのはよろしくなかったけど、なんとか生還したのでこうやって文章を書いています。次はもっと安全で安心な旅にします。

 ひとつめ、ナムさんが行っていた国立近代美術館のリヒター展。東京に降り立つのが記憶上初めての私、東京へ抱いているぼんやりとした憧れと相まって、東京駅の表示を見てテンションが上がる。糖分を取って美術館までは歩きました。みなさまの足跡を辿りには来たけれど、作品は作品で楽しみたいと思っていたので、工夫された配置によって(意図的に順路が設定されていませんでした)満足するまで見ることができて良かったです。リヒターは、名前は知っていたけれど、例えば私が足を運べる範囲で特別展をやっていたとして行かない可能性が高かったアーティストで、いつも新しいことを知るきっかけになってくれるナムさんがありがたいです。

3月 cr.自分

 途中で、あこれナムさんがあげてたやつだ!などもやりながら…、例えばこれはナムさんの投稿で見た時は水色が綺麗だな~と思っていたのですが、実際に見てみると赤い線が血のようにも見えて、ナムさんはこれを見て何を思ったのかな~などと思いました。(やりがち?)

ビルケナウ cr.美術手帖

数日前にリヒター展についての日経新聞の記事を読んでいて、そこで取り上げられていた「ビルケナウ」についての抜粋。「『見る』行為につきまとう暴力性から、リヒターの抽象画は写真を覆い隠し、守る。そして写真やホロコーストという主題に対する安易な解釈を退け、考え続けることを促す。」ビルケナウとは、アウシュビッツ内で隠し撮りされた写真の上に絵の具が塗られている作品で、上の記事の通りに「見る」ことの暴力性に対しての問いかけを発している作品です。私に、アイドルを推している以上避けられない「見る」視線についての葛藤がずっとあるというのもあって特に印象に残った作品でした。特別展以外にも常設展もあって、Googleの記録を見ると3時間以上いたらしい。売ってたポストカードのサイズもいろいろあっておもしろかったです。

 ふたつめ、ヒョンジンさんが写真を撮りまくり、リノさんがプリンを食べていた新宿御苑に行きました。行く前にリノさんがプリンを買っていた4/4 SEASONS COFFEEでプリンを入手しました。行くまでは雨の予報だったので、雨の新宿御苑なんて言の葉の庭じゃないですか!と思っていたんですが、行ったときには雨が上がっていて、それはそれで緑が鮮やかでした。プリンも美味しかった🍮。

自然を満喫するヒョンジンさん。7月終わり頃なのでたぶんめちゃくちゃ暑い。

陽が差すこともありました。私は青紅葉も好き。

本当はSOMPO美術館から新宿御苑まで歩いたヒョンジンさんみたいにSOMPO美術館まで歩きたかったのですが、高速バスと近代美術館の疲れが案外ひどくて、結局地下鉄に乗っちゃいました。いつか歩きたいなぁ。

この絵好きだった。

 みっつめ。SOMPO美術館。やってたのは「印象派からエコール・ド・パリへ スイス プチ・パレ美術館展」です。展示は3階に渡り年代順に並べてあって、流れをつかむのにも良かった。いちばん最初の階は主に点描があって、特にポスターにもなってる↑の絵が好きでした。「休暇中の宿題」という絵なんですが、向かって左側に描いてある陽の光が午後の強い光だなぁと思って、天気のいい日ならいつでも見れそうな身近さが好きでした。キュビスムとかフォービスムのゾーンから感じるオーラが強烈だったし、ゴッホのひまわりも見れて良かった。写真では分かりにくい細かな絵の具の盛り上がりなどが余すところなく見れました。いつかひまわりが一堂に会するところを見てみたいなぁ(1度機会を逃している人)。前にも書きましたが、点描がとても好きです。IN THE SOOPで点描画を描くナムさんに、「点描画が一番好きなんです」と言ったテヒョンさんのことを今突然思い出しています。お元気でしょうか。美術館の休憩スペースでしばらく足を休め、新宿駅周辺をぶらぶらしようと向かいます。

 その他、夜。夕食は、親からおすすめされたオムライス屋さんに行き、新宿マルイの中を雑貨さんを探して彷徨ったり、ブックオフを見つけて入ったりしつつ、時々名前を聞く「バスタ新宿」に少しテンションが上がりつつ、最後は夜行バスに乗って帰りました。新宿への憧れをより強いものにして、東京旅行終了です。これを書いてるうちに、SEVENTEENさんが日本にいらっしゃり、いろんなところに行っていらしたのでまた近いうちに東京に行きたくなっている。

東京旅行、まさにこんな気持ちだった。

 

編集後記?のようなもの:できるだけ荷物を少なくしようとして、ちょうど読んでいた二階堂奥歯さんの『八本脚の蝶』(分厚い文庫本)を持っていたからか、カメラロールを見返すとちょこちょこ気になった本を調べた画面のスクショがあって、ああこんなことも……となっていた。自分の足取りを追うのも時々楽しいです。

あなた、本当は風に吹かれて飛ばされて行きたいのに飛べないから、風の中で力強く立っているものを羨ましそうに見る

 

君、ずっと安全な場所を探していたでしょう。猫が丸まっている腕の中のような場所を

 

鏡の中はすべてひっくり返っていること以外、鏡の外と何も変わらなかった。自分もひっくり返っているから何も困らなかった。この世界は見えているよりもっともっと地獄で、私たちは思考力も視界も奪う毛布でくるまれているから何も知らずに生きて、そのままだった

 

指に輝く花を眺める。ただの花である

 

透明なまなざしを持っているように見えた。私はそれに憧れていた

 

公園で走り回る小さい子どもたちの間を、その上に浮かんでいるエネルギーの雲を吸収するようにすり抜けて

 

ちゃんとしてて、賢くて、余裕のある優しさで、私とは違うと知って痛かった

マロンのチョコケーキとジュンくん

 おひさまのにおいがします。おひさまのにおいはするけど、日没が早くなってきて悲しい。大学がはじまると夜更かしがあまりできなくなるので、最近は日の出を見ていません。今回は、今なんとなく書きたいことを、石を積むみたいに書いていく回です。十分に積み上げたら、また別の場所で積み始めます。今書きたいことなので、今後の気持ちと離れすぎたらそのうち消すかもしれない。

 書きたいことを書きたいときに書くノートを作っています。何冊目かは数えてないですが、この間更新しました。9月中は本を読んだり、映画を見たりしていました。東京に美術館めぐりに行った後は、また行く機会を常に窺っています。東京旅行、やりたいことがだいたい計画通りにできた上に、ひとりで行ってきたので話したいことがたくさんありますが(誰かとお出かけすると、思ったことをだいたい話しちゃうので敢えて書きたいことがあまりなくなりますが、ひとりで行くと自分との会話ばかり蓄積されるので)、1から10まで説明しようとしてしまうので難しい。

 そういえば白浜の海も見に行きました。岡山の海とは違って、お天気の昼間に展望台から見たので、ちゃぷちゃぷはできなかったけど、その代わり水面で乱反射する無数の光が綺麗でした。ずっと見ていられた。眩しくて、透明に光っていて、そのまま私の心を明るくしてくれた。写真を撮ったけど、上手くは映りませんでした。空はカメラでもすごい綺麗に映るのでよく撮りますが、やはり目で見るのがいちばんなこともたくさんあります。

 目で見ると言えば、ようやっとSEVENTEENのライブに当たりました。注釈付きですが。ヨルシカの注釈付きで入った時はホールだったので、視界は特に問題なしかつステージから近い、みたいな良い席でしたが、多分今回は事情が違うと思われ、姿を見れるか少し不安になっている。でも入れないよりはずっといいです。あまり期待していなかったので、突如いろいろ準備が必要になって少しあたふたしながらもわくわくしています。

 私は何かしら心の拠り所になるようなことがないと、映像作品なり音楽なりを心からは楽しめないのだなということを、夏休みにディズニー+の作品を一気見していて気づきました。私が見るのは以前TLでお見かけしたものが多くて、この方がああ言っていたのだから面白いのだろうというのは私にとって結構なモチベーションになります。そして一度誰かの目を通した作品というのは私にとって心の拠り所となるものが先に提供されていることが多くて、逆に誰の意見も聞かずに見ているものというのは心の拠り所を自分で見つけなきゃいけなくて、それは結構難しいことだったのだと今更ながら分かりました。ズートピアマレフィセントが特に印象に残っています。私、それなりに分かりやすいものを好きになってしまう側面も強くて、ズートピアマレフィセントも書きたいことがものすごく分かりやすく伝わってきて、しかもそのメッセージは私にとって助けになるものだったからとてもありがたかった。

 それから、BLACKPINK THE MOVIEで「私はBLACKPINKになりたい。」と言っているファンを見て泣きそうになっていた。ドキュメンタリーを見ていると、ファンのインタビューに救われた自分を重ねてしまって、泣きそうになってしまいます。BLACKPINKについては知らないことの方が多いですが、本人たちがその名前をアイデンティティーとして大切にしてくれていることがとてもありがたいと思いました。

 休日はたいてい8時間寝るまでは1度も起きないのだけれど、今日はなぜか2度も起きてしまった。まだ寝ようと思って寝直したら2種類の悪夢を見ました。悪夢を見て2度寝すると、また悪夢の続きを見てしまって良くないのだけど、今日は別のストーリーの悪夢でした。中身はよく覚えていないけど、今日は良い天気だったのに何かをする気力をすべて奪っていくくらいには最悪だった。

 秋は好きなのに、その好きが何かをしようと思う方向にはいかなくて大変。秋には「好きだなぁ」で情緒の全てを終わらせてしまう力があります。先日待ちわびていた金木犀が咲きました。明るいときはその暖かい色を探して、暗くなるとより一層濃くなるような香りを探して、木で咲いているときは上を見て探して、散った時は地面を見ながらその存在を探しています。

 日記終わり!そのうちまたお会いしましょう。

最近はよく空の写真を撮っています。これは台風の前の夕暮れ。

 ジョングクのお誕生日頃とても忙しくて全然お祝いできていなかったので、来るナムさんのお誕生日とも合わせてお花を買ってきた。ジョングクぽいお花とナムさんぽいお花を1種類ずつ探しに行ったのですが、ジョングクぽいにピンとくるお花が無くて、でもとってもかわいいナムさんぽい?お花を見つけてきたのでニコニコしながら飾りました。長持ちしてほしい。ブルースター、別の名をオキシペタラムというらしいです。

いわさきちひろさんの秋の花の絵と一緒に

 Call If You Need Meを少しずつ聴いています。#3の中で「ブチギレながらおしゃれしてる」という部分があります。これを聴いて私が最近考えていたことをひとつ、ぐちゃぐちゃながら言葉にしてみようかと思います。全部私の話なので、他の誰かはきっとまた違うでしょうと思いつつも、この前人としゃべった時にそのとっかかりとなるようなことを初めて言葉にできたので、それを広げてみようと思っている。
 私は「女(の子)らしい」「男(の子)らしい」という言葉がだいぶ前から嫌いで、オタクのアカウントを作った時、推しに対してこの2つの形容詞だけは使わないぞと固く決意したことだけは覚えているし、未だに実行している。なぜ嫌いかというと、この言葉にくっついてくるジェンダー規範が大嫌いだからです。(しかし、このらしさについての話は簡単にトランス排除と結びつけられてしまうので、私はトランス差別に反対であることは述べておきます。)そして同時に私が着る服は「女の子らしい」(無意味に鍵かっこ100個くらいつけたい)ものが多い。親がもともと花柄やフリルが好きなのもあって家にそんな服が多いし、私も可愛いと思うので普段からよく着ている。服が女の子らしいねと言われるのはまだいいけど(私も今使っているし)、服装を見て私自身を「女の子らしい」と言われたり、思われたりしたくない。だから、服装に加えて髪も黒髪で結構長いのできっとおとなしそうにも見えるだろうなとも思いながら(実際おとなしいことは多分おとなしいけど)、「女の子らしい」子だねとみなすような視線があった時のために予め中指を立てながら着ているところはある。しかし、言葉は文脈によって全く別のものになるのは確かで、私に対して「女の子らしい」という言葉も言う人によっては、例えば親しい友だちから言われるならまぁいっかともなる。多分単純にほめ言葉として使っているんだろうなと思えるからです。Call If You Need Meでも話に上がっていたけれど、親密さは本当に大事だと思う。他人とのやりとりの中で起こることごとを、ともすればどこまでもネガティブに捉えられる私の思考にブレーキをかけてくれます。『声をあげます』の「世界がすっかりだめになっても、私たちは親密さを大事にする」という一文が好き。

open.spotify.com

 岡山に行ってきました。私はシニャックを美術館で見るのが大好きなのですが、大原美術館でも見れて嬉しかった。印象派の特別展などに行くとだいたい1枚くらいはあって嬉しい。やはり私は光を描いた印象派の絵が好きです。桃美味しかったです🍑。後楽園は1日中でもいられそうだった。いろんなところにベンチがあって、ここで2時間くらい本が読みたいなぁというスポットがたくさんありました。ちょうどナムさんが日本にいるときだったので、今日はどちらにいらっしゃるだろうなどと時々考えたりもしていました。海にも行きました。台風の前で少し荒れていて、陽光をたくさん含んだ瀬戸内海でちゃぷちゃぷ~という想像とは違ったけど、ちょうど日没の頃に行ったので、刻一刻と変わる空とそれを映す海がとても綺麗だった。これはお友だちに言われて気づいたことですが、たくさん撮った写真たちがカメラロールでグラデーションを作っていたのも綺麗だった。密かにやりたかった、海でEuphoriaを聴くこともできて嬉しかったです。それからトレカブックを持ち込んで旅行とオタ活を混同させたりもしていました。というかホテルのテレビが大きくて嬉しかった。お友だちのおすすめのステージをひとつとタリョラ、森を見た他は、ほぼ私が見て欲しい動画を見せるという時間になっていた。新しいことにもいろいろ出会えて、疲れたけど楽しかった旅行でした。

 そして岡山とは別に滝を見にも行っていました。私の体力が心配すぎて、目的地を決める際に小さい子連れでも行けるか調べたことは内緒です。やはり山と水辺はよい。という結論を噛みしめながら歩いていた。布曳滝という滝があって、正面からと上から見ることができたのですが、上から見ると特に水が絹のようで綺麗だった。滝つぼのあたりの水の青の深さを覚えています。川沿いのハイキングコースだったので、周りの緑が水分を含んでしっとりといきいきしていて、それにも癒されていました。途中で見つけた、木漏れ日によってできた陽だまりがとても良かったので写真を撮ったのですが、伝わるか分からない。『西の魔女が死んだ』に出てきた、まいの「マイ・サンクチュアリ」を思い出していました。

私は陽だまりが好き

 昨日の満月はすごかった。写真を撮ってみようと思ったのですが、眩しすぎてただの発光体になっていて諦めました。私は雲ひとつかからない月も好きですが、月と一緒に周りの雲もまたぼうっと明るく見えるのや、海面に映る月影みたいに雲に月までの道があるように見えるのも好きです。

 最近は、図書館に買おうかだいぶ迷った本が入っていて嬉しかった。即座に予約しました。夏休みなのでふだんよりは本が読めているのも嬉しい。読むだけで終わりにせずに、受け取ったものを言葉にできるようになりたい。最近読んでいるブレイディみかこさんの本の中にカロリン・エムケさんの『なぜならそれは言葉にできるから』からの引用があって嬉しくなりました。私が今年読んだ中でも、特に印象に残っている本の1冊です。柚木麻子さんがnoteで書かれているエッセイで「被害者や被害者側に立つ人が言葉を要求される」という指摘を読んだ時も、この本を思い出していました。

「暴力の被害者の方が、利き手の信頼に値することを証明せねばならないのではなく、被害を免れた者の方が、被害者の信頼を勝ち得るために努力せねばならない。」

カロリン・エムケ(2019),『なぜならそれは言葉にできるから』(p.104)

 この部分の他にも、ブレイディみかこさんも引用されている、アイデンティティは他者との関わりによって認識できることについて、「言葉では表せない」という言葉の危険性についてなど、定期的に読み返して大事にしたい本です。

 秋が来ますね。ナムさん、お誕生日おめでとうございます。

土砂降りの夕方だった

 何もしたくないので日記を書いています。日中は暑いのに夜の風は涼しくて、秋が来ることをひしひしと感じて、時の流れの速さにお腹が痛くなっている。

 

 最近の日記をいくつか。

 ひとつめ。お友だちとカラオケに行きました。結局7時間以上休みなしで交互に歌ってたのを思い出して、自分たちの体力に拍手を送りたい。歌ってる自分が楽しかったらよし!を合言葉に各自歌いたい曲を自由に入れてた。歌った中で特に覚えてるのはStray KidsのMANIACとRed VelvetのQueendomです。言葉の響きだけで強くなれるとはこのことだという気がした。でも私は弱いままで許されたくもあります。そういえばXGMASCARAも入ってて、本人映像だったのでかっこいいJURINさんが拝めて嬉しかったです。This is my party I can cry when I want toだけしっかりと歌いました(それしか歌えなかったとも言いますが)。それから、最近平家物語のアニメを少しずつ見ていて、羊文学の光るときの「何回だって言うよ、世界は美しいよ 君がそれを諦めないからだよ (中略)君のまま光ってゆけよ」がとっても歌いたかったから、それも歌えてよかったです。

youtu.be

 ふたつめ。時たま会って本を貸したり借りたりするお友だちがいるのですが、本当に久しぶりに長々とおしゃべりして、ひとことで言うととっても楽しかった。まだ結論が出ていないことを、結論が出ていないままで伝えられることとか、伝える言葉に対する解像度がある程度保障されている安心感とか、中高生の私のことも知られていることとか、他のもろもろもまとめて人と喋るっていいな、になっていた。専門は私と違うので、普段私があまり情報をキャッチできない分野との架け橋になってくれる面もあってありがたい。

 みっつめ。美術館に行きました。ひとりとお友だちと一か所ずつ。夏の間に行きたい特別展がまだいくつかあるのでフットワークをもう少し軽くする必要がありそう。フェルメール展は修復された《窓辺で手紙を読む女》がメインの展示で、修復前の絵の説明にあった「キューピットが出現する前の壁は見る人が自由に描くキャンバスでした(少しうろ覚えですが)」みたいな記述をいいな~と思って修復前後どちらものポストカードを買いました。大学生になって、美術館に以前よりもよく行くようになってからポストカードの収集癖が加速している気がします。酒井駒子さんの「みみをすますように」展は結構終わりかけに行ったので、おそらく人気のポストカードがいくつか売り切れていて残念だったのだけど、一枚お気に入りを手に入れられて嬉しかった。『ビロードのうさぎ』という絵本についての展示の中の、ぬいぐるみと一緒に布団の中にいる子どもだったり、庭にある茂みの中にいる子どもだったりを描いた絵が秘密基地のようで好きでした。それから、猫のふわふわ具合も可愛かった。展示方法も壁掛けだけじゃなくていろいろ工夫されていて面白かったです。

 よっつめ(今回はいっぱいありますね)。やっぱり本を読んでいます。最近読んだ中でのお気に入りは荒井祐樹さんの『まとまらない言葉を生きる』です。感想はTwitterにも書いたのだけど、少しだけ整理してみると……
まず、何らかの言葉や表現に対する違和感が丁寧に説明されていて、一文一文積み上げられたのが見えるような本でした。私ははっきりと問題提起をできないことに罪悪感を抱くことも、はっきりした言葉にも好きな言葉はあるけれど、はっきりと分かりやすいことだけがいいのではないと思えた(言うまでもなく、ある問題に対してその問題点をはっきりと説明できることは重要だけれど)。そして、終章の小見出しにもなっていたけれど、私はやはり言葉を諦めたくないと思った。他人を排除する言葉は溢れているし、明確な言葉で説明しないと問題が明らかにならないことがある一方で、はっきりするとこぼれ落ちてしまうものことがあるし、言葉以外の表現手段が欲しいと思ったことが何度もあるけれど、私自身がいつも言葉に心を揺り動かされて、救われて、息ができると感じているからこそ、他人を踏むような言葉や社会を私が進んでほしくないような方向に進めるような言葉を避けつつ、積み上げていくという過程を大事にしたいと思いました。

 最近の日記終わり!です。少しだけ聴いてほしい話があるとしたら、先日自分の不注意により、ライブのFC先行のためにFCに入るも、先行のための条件を満たせずにただFCに入った子を爆誕させていたという話ですが、時が少し傷を癒してくれた気がします。。。でも辛い……私のアイドル初ライブはいつに……。

 夏の暑さは嫌いだけど時間は経ってほしくないから、最近は少し여름님 가지마세요..の気持ちでいます。ここまでただひたすら私の話を読んでくださった方ありがとうございました。

浮いていたい

今日撮ったばかりの朝焼け

 最近の思ったことの日記。テストやレポートに忙殺されながら(計画的にやらないのが悪い)考えていたことなど。本当に脈絡なく、話題はあっちこっち飛び回り、思考はそれにホッピングを履かせる感じで進む日記です。

 とりあえず前期が終わった。最後のレポートを書きあげたテンションの続きでこれを書いています。テスト前の2週間くらいは受験勉強ぶりにめちゃくちゃ勉強した。いくつか間に合わなかったけど……。大学の友だちと集まって、勉強するスペースが開いてる時間はひたすらに通って、一日の予定を、勉強する時間を確保するところから決めるの久しぶりだなぁ~と思っていた。あと、多分この期間で教科書を読む技術が一時的にすごい鍛えられた気がする。多分もう少ししたら元通りになってしまうだろうなぁと思いつつ。

 ぼんやりとした自由な言葉が好き、ということを考えている。Ticket To Anywhereとか、スキズのTime Outの「푸르게 펼쳐진 어딘가로」とか、スピッツの正夢の「あのキラキラの方へ」とか、夜を駆けるのあの自由な感じとか。私はふわふわ漂いながらいきたいと思いつつ、現実のHell具合に足を取られる日々。

青く広がったどこかへ

 Time Outを、旅行の、現実からぐんぐんと遠ざかる行きの行程でずっと聴いていたい。きっと逃げられない現実から逃げたいときに聴くには明るすぎるから、本当に逃げている途中で聴くくらいがちょうどいいだろう。そして高校の修学旅行で北海道に行ったとき、ひたすらにYoung Foreverを聴いていたのを時々思う。今でもYoung Foreverを聴くと、その時のどこまでも広がる牧草地が窓の外を流れていたのを思い出す。そして「나리는 꽃잎 비 사이로 해매어 달리네 이 미로(舞い散る花びらの中 彷徨い走るこの迷路)」という歌詞がいつ聴いても美しく響くのだ。

 「推す」ことに対する私の意識の概念みたいなもの、のプレイリストを作るとしたら何を入れるだろうと考えている。とりあえずスピッツのさらさらと、LooteのTomorrow Tonightは入れるだろうなぁ。Euphoriaは聴く度に、幸福は声に乗っても届くのだということを実感する。SEVENTEENのAnyoneも入れたいなぁ。「We make the rules, 세상에 하나뿐인 규칙 바꿀 수 없어 Not anyone anyone(私たちは世界でたった一つの掟を作った 他の誰にも変えられない掟)」が大好き。スキズのScarsも候補。好きな人たちに「僕なら大丈夫」と言われてはじめて進める場所について考えています。ジュンくんの寂寞号登机口も入れたい。「我瞧云飞走 半橘半灰的天空(僕は半分オレンジで半分灰色の空に流れゆく雲を見る)」が、ジュンくんが見た景色がそのまま歌詞に反映されているそうで大好きなのだけれど(Weverse Magazineより)、きっとジュンくんにとってものすごく印象的だったのだろうなと思って、私もそんな日常で揺さぶられた一瞬を大事にしたい。ナムさんのDon'tも同じ理由で入れたいな。

 楽しい……!もう作っちゃいなよ。と自分で思ったので作ってみた。並び替えはうまくいきませんでした。何か足したり引いたりしたくなるまでこのまま置いておこうかなぁと思います。

open.spotify.com

 

 他にもいろいろ書きたいこと、もっと頑張って言葉にしたかったことがいくつもありますが力尽きちゃいました。今まで2,3個書いていた下書きを全部無視して新しく書いている。いつの間にか今の日記になってしまっていました。冒頭で言ってたことと少し食い違ってるのは気づかないふりしてください。

 最近は本を読んでいます。いちばん最近読み終わったのは『となりのヨンヒさん』です。アリスとのティータイムや馬山沖、それから雨上がりが特に好きでした。人への優しさが根底にある作品が好き。夏休みやりたいことたくさんあるし、私のやりたいとがんばりたいは結構近くにあるので、心の趣くままにがんばろうと思う。コンテンツもいろいろ追いかけたいけど、基本来た時に捕まえないとずっと捕まらないままだよなぁとも思っている。

 最近ずっと頭を覆っていた訳もなく(完全に理由がない訳ではないけれど)ぐるぐると回るような気持ちが、昼間の太陽の明るさにやられたからか身を潜めているのでその間にえいやっと投稿してしまう。読み返してみたら過去一の明るさで、やっぱり太陽の光の力は大きいと実感するところ。次の日記は夜に出してみようかななどと思いつつ。

 

 良い夏の日を。(溶けながら)