最近はよく空の写真を撮っています。これは台風の前の夕暮れ。

 ジョングクのお誕生日頃とても忙しくて全然お祝いできていなかったので、来るナムさんのお誕生日とも合わせてお花を買ってきた。ジョングクぽいお花とナムさんぽいお花を1種類ずつ探しに行ったのですが、ジョングクぽいにピンとくるお花が無くて、でもとってもかわいいナムさんぽい?お花を見つけてきたのでニコニコしながら飾りました。長持ちしてほしい。ブルースター、別の名をオキシペタラムというらしいです。

いわさきちひろさんの秋の花の絵と一緒に

 Call If You Need Meを少しずつ聴いています。#3の中で「ブチギレながらおしゃれしてる」という部分があります。これを聴いて私が最近考えていたことをひとつ、ぐちゃぐちゃながら言葉にしてみようかと思います。全部私の話なので、他の誰かはきっとまた違うでしょうと思いつつも、この前人としゃべった時にそのとっかかりとなるようなことを初めて言葉にできたので、それを広げてみようと思っている。
 私は「女(の子)らしい」「男(の子)らしい」という言葉がだいぶ前から嫌いで、オタクのアカウントを作った時、推しに対してこの2つの形容詞だけは使わないぞと固く決意したことだけは覚えているし、未だに実行している。なぜ嫌いかというと、この言葉にくっついてくるジェンダー規範が大嫌いだからです。(しかし、このらしさについての話は簡単にトランス排除と結びつけられてしまうので、私はトランス差別に反対であることは述べておきます。)そして同時に私が着る服は「女の子らしい」(無意味に鍵かっこ100個くらいつけたい)ものが多い。親がもともと花柄やフリルが好きなのもあって家にそんな服が多いし、私も可愛いと思うので普段からよく着ている。服が女の子らしいねと言われるのはまだいいけど(私も今使っているし)、服装を見て私自身を「女の子らしい」と言われたり、思われたりしたくない。だから、服装に加えて髪も黒髪で結構長いのできっとおとなしそうにも見えるだろうなとも思いながら(実際おとなしいことは多分おとなしいけど)、「女の子らしい」子だねとみなすような視線があった時のために予め中指を立てながら着ているところはある。しかし、言葉は文脈によって全く別のものになるのは確かで、私に対して「女の子らしい」という言葉も言う人によっては、例えば親しい友だちから言われるならまぁいっかともなる。多分単純にほめ言葉として使っているんだろうなと思えるからです。Call If You Need Meでも話に上がっていたけれど、親密さは本当に大事だと思う。他人とのやりとりの中で起こることごとを、ともすればどこまでもネガティブに捉えられる私の思考にブレーキをかけてくれます。『声をあげます』の「世界がすっかりだめになっても、私たちは親密さを大事にする」という一文が好き。

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 岡山に行ってきました。私はシニャックを美術館で見るのが大好きなのですが、大原美術館でも見れて嬉しかった。印象派の特別展などに行くとだいたい1枚くらいはあって嬉しい。やはり私は光を描いた印象派の絵が好きです。桃美味しかったです🍑。後楽園は1日中でもいられそうだった。いろんなところにベンチがあって、ここで2時間くらい本が読みたいなぁというスポットがたくさんありました。ちょうどナムさんが日本にいるときだったので、今日はどちらにいらっしゃるだろうなどと時々考えたりもしていました。海にも行きました。台風の前で少し荒れていて、陽光をたくさん含んだ瀬戸内海でちゃぷちゃぷ~という想像とは違ったけど、ちょうど日没の頃に行ったので、刻一刻と変わる空とそれを映す海がとても綺麗だった。これはお友だちに言われて気づいたことですが、たくさん撮った写真たちがカメラロールでグラデーションを作っていたのも綺麗だった。密かにやりたかった、海でEuphoriaを聴くこともできて嬉しかったです。それからトレカブックを持ち込んで旅行とオタ活を混同させたりもしていました。というかホテルのテレビが大きくて嬉しかった。お友だちのおすすめのステージをひとつとタリョラ、森を見た他は、ほぼ私が見て欲しい動画を見せるという時間になっていた。新しいことにもいろいろ出会えて、疲れたけど楽しかった旅行でした。

 そして岡山とは別に滝を見にも行っていました。私の体力が心配すぎて、目的地を決める際に小さい子連れでも行けるか調べたことは内緒です。やはり山と水辺はよい。という結論を噛みしめながら歩いていた。布曳滝という滝があって、正面からと上から見ることができたのですが、上から見ると特に水が絹のようで綺麗だった。滝つぼのあたりの水の青の深さを覚えています。川沿いのハイキングコースだったので、周りの緑が水分を含んでしっとりといきいきしていて、それにも癒されていました。途中で見つけた、木漏れ日によってできた陽だまりがとても良かったので写真を撮ったのですが、伝わるか分からない。『西の魔女が死んだ』に出てきた、まいの「マイ・サンクチュアリ」を思い出していました。

私は陽だまりが好き

 昨日の満月はすごかった。写真を撮ってみようと思ったのですが、眩しすぎてただの発光体になっていて諦めました。私は雲ひとつかからない月も好きですが、月と一緒に周りの雲もまたぼうっと明るく見えるのや、海面に映る月影みたいに雲に月までの道があるように見えるのも好きです。

 最近は、図書館に買おうかだいぶ迷った本が入っていて嬉しかった。即座に予約しました。夏休みなのでふだんよりは本が読めているのも嬉しい。読むだけで終わりにせずに、受け取ったものを言葉にできるようになりたい。最近読んでいるブレイディみかこさんの本の中にカロリン・エムケさんの『なぜならそれは言葉にできるから』からの引用があって嬉しくなりました。私が今年読んだ中でも、特に印象に残っている本の1冊です。柚木麻子さんがnoteで書かれているエッセイで「被害者や被害者側に立つ人が言葉を要求される」という指摘を読んだ時も、この本を思い出していました。

「暴力の被害者の方が、利き手の信頼に値することを証明せねばならないのではなく、被害を免れた者の方が、被害者の信頼を勝ち得るために努力せねばならない。」

カロリン・エムケ(2019),『なぜならそれは言葉にできるから』(p.104)

 この部分の他にも、ブレイディみかこさんも引用されている、アイデンティティは他者との関わりによって認識できることについて、「言葉では表せない」という言葉の危険性についてなど、定期的に読み返して大事にしたい本です。

 秋が来ますね。ナムさん、お誕生日おめでとうございます。