曇り時々雨のお散歩

 この三連休は珍しく活動的に過ごしたので、いつもより詳しめに日記を書いてみようと思い立ちました。秋ぐらいからずっと日記をまた出したいと思っていて3本くらい書きかけてたんですけど、全部季節がズレてしまいましたね。書きたかったことは、変わらなかったらそのうちいつか書くでしょう。

土曜日:李禹煥展へ

 行くまでは、以前ナムさんが名前を挙げたことがある美術家の1人という認識でしたが、帰り道で調べていたら、ナムさんは釜山市立美術館にある好きな作品まで上げていました。ナムさんは「風」が好きだそう。李禹煥氏の作品には「風」という名前の作品は無く、「風より」、「風と共に」、「東の風」などがあって、「이우환  바람」と調べると‘바람’ 연작('風' 連作)がヒットするんですが、私の力不足でそれが正確にどれを指すのかは分からず……分かる方いたらよろしかったら教えてください。東の風は含まれるみたい(検索ではオークションで落札された記事がたくさん出てきます。))

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お寺の件があったので、ナムさんが行った場所を気安くシェアすることに少しためらいを覚えますが、これはBTS RMと署名しているので大丈夫かな……と思って書きました。

 前置きが長くなりましたが、展示は、私にとってはミニマリストの部屋を見ているような落ち着きを感じる空間でした。私がミニマリストにいちばん憧れていたのは中学生の頃ですが、今でもぼんやりとした憧れはあります。部屋、ずっとモノばかりですが。ミニマリストの部屋と称されるところにある、規則的な雰囲気が好きなんだと思います。それから、李氏のやりたかったことと使用した表現方法が、年代ごとにものすごく綺麗に整理されていて、ひとつの美術史を習っているような気分で音声ガイドを聴いていました。悪い意味ではないです。私は勉強は嫌いではないので。好きだったのは、《関係項―棲処(B)》と《線より》、《関係項—サイレンス》、対話と応答シリーズなどです。《関係項―棲処(B)》は中庭のようなところに設置されていて、地面には石が敷き詰めてあり、歩くとガタガタといい音がして、足元がおぼつかないような、普段あまりない体験にワクワクするような、不思議な気持ちになります。平べったい石のタワーもあり、ちょうど雨の日だったので、濡れたところと濡れていないところがあって綺麗でした。《線より》は行く前から知っていた作品で、時間を紙の上で表したかったとのこと。なるほど……と思いつつ、滝みたいと思いながら眺めて、その手で書かれながら規則的なところが気に入りポストカードも買って帰りました。《関係項—サイレンス》は真っ白なキャンバスを眺める石、という構図でかわいかったし、対話と応答シリーズは、キャンバスの上で、キャンバスを越えておしゃべりしているようなカラフルなグラデーションたちがかわいかった。作品の上で、作品が置かれている環境と、影響し合うものを表現しようとしている作品ばかりだった気がする。氏がやりたいこともそのようなことみたいです。記事で「余白の機能がない空白、ただ空白であるだけのものではなくて、描いていないにもかかわらず、描くことと描かないこととの激しい競り合い、引っ張り合いによって響きが出てくる。(中略)より大きな広がりを感じさせるといった現象に『余白』という言葉をあてはめたい。」と言っていたのが面白いなと思いました。

作品の写真が気になったら、以下の記事のどこかには載っているはずです。

60年以上にわたる李禹煥の創作の軌跡。国内では17年ぶりの大規模個展が国立新美術館でスタート|美術手帖

「李禹煥」大回顧展(国立新美術館)速報レポート。描くことと描かぬことの関係性から広がる無限の表現へ|Tokyo Art Beat

展覧会構成 | 兵庫県立美術館開館20周年記念 李禹煥 Lee Ufan || 兵庫県立美術館

「作らないこと」を続けてきた李禹煥の回顧展|青野尚子の今週末見るべきアート | カーサ ブルータス Casa BRUTUS

 美術館を出たあとは、横にいた人たちが散歩する?などと話していたのもあって、お散歩がしたくて、美術館の横の海沿いを気が済むまで歩いていました。ここしばらく歩くことにはまっています。というのも、以前SEVENTEENのライブに2日連続で行った時に疲れすぎてしまって、自分の体力の無さを痛感するとともに、2月にも2日連続でライブに行く予定なので体力をつけなくてはいけないが、筋トレはしたくないという打算的なものが働いているからです。何もしないよりマシだよねと思いつつ、歩くのは疲れていなければ好きなので、好きな曲を聴きながら、曲がりたい道で曲がり、疲れたらそのまま帰るし、迷ってもスマホあるし大丈夫という気ままなお散歩をしている。私はこれくらい自由なのがいいです。

日曜日:高校の同窓会へ

 母のワンピースドレスを借りて、前日まで自分でやるつもりだった髪の毛は急遽見つけた美容室で生まれて初めてセットしてもらい、かわいく仕上がったので満足しながら、高校ぶりに会う人がほとんどの会場へ。人の洋服と髪型見るの楽しかった。レースたっぷりのドレスも見るのが楽しかったし、よく見る形のドレスじゃなくても、自分に何が似合うか分かっているんだろうなぁと思う服や髪型を見るのも楽しかったです。中学時代の方がよく喋ったなぁという子や、インスタなどで楽しそうなことをしていた子にも気軽に声をかけられて嬉しかった。リア垢のTwitterでは最近怒っていることが多いので、それを知る少数の人々には、会うと~ちゃんって感じなどと言われてウケていたし、二重人格ですみたいな言動をした自分にもウケていた。まぁ一応全部私です。

 同窓会が終わった後は、今でも遊ぶ子と二人でカラオケに行き、各自好きな曲を歌っていた。私はとにかく強くなれる曲ばかり歌っていて、カラオケを出た時には最強人間ができあがっていました。ラップ部分をもっと練習したい。あと、ルセラのANTIFRAGILEが案外歌えたとともにめちゃくちゃ楽しかった。本人映像の本人歌唱だったのでユンジンさんにかっこいい!とか言っていました。途中でテイラーのLove Storyを、歌詞は共感できないんだけどかわいいよねとか言って歌ったりもしていた。コナンのいちばん有名な曲、カラオケで聴く度に歌詞あったんだってびっくりしている気がする。いい加減慣れてください。

月曜日:映画へ

 私は(私基準で)朝早くに髪を切りに行って、セットして貰ったままでどこかへ行くのが好きなので、今回もそのパターンで行動しました。30㎝ほど切った後にずっと見に行きたかった「そばかす」を見に行きました。そういえば、美容室で出して貰った雑誌をパラパラしていた時に、三浦透子さん(主演の俳優さん)のインタビューが載っていて、偶然ってすごいと思っていた。頭が軽くてるんるんで向かいながら、地味に迷った代わりにブランコがある公園を見つけて、ずっとブランコに乗りたいことを思いだしたりもしていた。絶対持って行こうと思っていたハンカチを忘れてマスクをグショグショにしながら、パンフレットを買い、結局思い切りブランコを漕いできた。ひとりでブランコを漕ぐ大人?が怖かった子どもたちいたらごめんね、まぁ私はちっちゃいのでせいぜい高校生くらいに見えないかなと都合のいいことを考えながら漕いでいた。今日見つけたんですけど、足首を組みながらブランコを漕ぐと、重心がまとまった感じがして少し漕ぎやすくなる気がします。でも朝からずんだ餅一個しか食べてないお腹で乗ったので、しばらくして酔ってしまいそれでお開きになりました。以下、そばかすの感想を書くので、ネタバレを見たくない方は1段落分飛ばしてください。

 好きなところは、作中何度かあった佳純が海でひとりぼんやりとしていたシーンと、佳純が、自分がチェロを弾いていたのは人の声に似ていたからなんだな(ニュアンス)と言っていたところ、佳純と真帆ちゃんが行ったキャンプで、夜に目が覚めた佳純がいない真帆ちゃんを探しに行くと、ひとりで渓流を眺めていて、佳純を見て笑顔で手を振ったところです。ラーメン屋のお前はどうせそうなると思っていたと思ったり、あれをこれするだか、これをあれするだか言った議員にはケッと思って、よく分かってない、よく分かんなくても生きてこれてる感じの描写上手いなぁと思ったりしていた。あの海いいなぁ。どこの海でしょう。穏やかな波と、お天気!!!みたいな太陽じゃなくて柔らかな光がとても好きでした。それから、佳純が同級生からゲイであることをカミングアウトされた時、真帆ちゃんが佳純から恋愛感情も性的欲求も抱かないと言われた時にそれぞれ言っていた「そうなんだ」が好きだと思っていた。それからなんの文脈も無いですが一番笑えたのは、佳純が保育園で誰くんが誰ちゃんに振られたんだってとかやってる時に、誰ちゃん連れてきた~と言っていた子に「なんで連れてきちゃったの!?」って言ったところです。チェロのくだりは思い出すたびに胸がギュウとなります。上手く話せなくても、話したいことがない訳じゃないし、きっと佳純は話したくないわけでもないんだと思った。シンデレラを見ながらマレフィセントStray KidsのChristmas EveLを思い出したりしていた。話ズレますが、Christmas EveLのチッケムを永遠見ています。歌詞が有難くて、振り付けも表情も全部かわいくてありがとう……。話を元に戻して……、羊文学の塩塚モエカさんが楽曲提供して、三浦透子さんが歌っている「風になれ」

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も良かった。羊文学さん、やはり他の曲も聞かなくてはと思う。「光るとき」が大好きです。というか、帰るまでなんでそばかす?と思っていたんですけど、さっき蘇畑佳純をひらがなで検索しようとして気が付きました。自分遅すぎる。

それから近況です(まだあるんだ)。

 最近は、三木那由他さんによる『言葉の展望台』と柚木麻子さんによる『マジカルグランマ』を読み終わりました。『言葉の展望台』の、ご不快構文は、具体的にどんな約束事(これから自分はこう振舞うということを、自分だけじゃなく他人の前で表明すること)をする謝罪なのかがはっきりしないからではないか、という部分、自分に当てはまらない言葉を、そのことを知った上で「□□なら△△であるはずだ」という帰結を引き受ける意思表示として使うことという部分が特に印象に残っています。それから『マジカルグランマ』については、私はマジカル~という表現を恥ずかしながらこの本で知ったのですが、なんかもう!ほんとうにさ!みたいなことがたくさん書かれててありがたかった。問題点を知りながら楽しむこと、そしてそれと問題を矮小化させないことの両立は可能なのか、とか、結局世間で認められている、求められている規範に従って行動することで他の誰かを踏みつけているかもしれないことなどを考えていた。

 それから、ずっと書こうと思っていたウヨンウの長文感想を最後に付け足して終わりにします。結構前に書いてたやつ。Twitterに上げるには長すぎました。やはりネタバレを含むので、見たくない方は飛ばしてください。

 見始めたのは多分6月とかなので5か月くらいかかってた。前半は一瞬で見ていたんですが、後半に主に時間がかかっていましたね……。たぶん私は、ヨンウの側に立つ人たちとヨンウの関わりを見たかったから、前半がめちゃくちゃ好きなんだと思います。チェ・スヨン、本当に好き……強く、優しく、正しい……おかしいことをはっきりとおかしいと言い、困っている人を見たら助け、本当になりたい人だった。春の日差し……。ヨンウを手伝うスヨンを見ながら優しい……となりつつも、これは優しいと言っていいのかなと思ったりする。でも、ヨンウが困っていることに敏感な人と、そうではない人がいて、それはその人が環境の影響を受けたり、自分で努力したりして作り上げたものだろうということを考えていた。後ろの方は、ヨンウのキャラクター性と登場人物同士のドラマ中心になって、あんまり人の関わりが見れなくて少し悲しかったんですが…。それから、あの父親とテサンとハンバダのトップは何なんだろうと思っていました。人を物みたいに扱わないでほしい。一方、私はハラハラするのがものすごい苦手なので、鯨やイルカが出てくるたびに、ああもうこれで解決へ向かうと思って安心して見れたりもしていました。見始めた当初から、例えばヨンウは自閉スペクトラム症ではあるけど、首席卒業だったり、司法試験満点だったり、他の人より圧倒的に能力的に優れていることが、認められる理由になっているのは引っかかる。それはハンバダやドラマを作る方にとってものすごく都合がいい設定なんじゃないだろうかくらいは考えていたんですが、例えば3話のすごさはそれを指摘している文章を読んでからしか気づけなくて、もっと勉強しなくてはいけないと思った。それからヨンウが「大丈夫です。自閉症があるので。」ということを言う度に、彼女は何を見たり、聞いたりして、大丈夫と言うようになったのだろうというようなことを考える。それから、他の登場人物がヨンウの状況に鈍感だと思うとき、きっと私はこうやって見ているからで、きっと私は実生活の中だったら数倍は鈍感に生きているのだろうと思う。

 前にお友だちとおしゃべりをして、私は何に怒っているの?と聞かれて、その時はパッと答えられなかったのだけれど、ひとつは誰かの生きてく上での選択肢を狭めたり、否定したりすることに対して怒っているのかもしれないというところまでは来ました。

 最近はエイヤッと投稿しているので、これはちゃんと読み返して投稿します。そろそろ後期試験が近づいてきているので、1か月ほどまたいろいろに追われながら、すべてをギリギリで片づけていくんでしょうが、少しはちゃんとやりたいですね……。あと1か月耐えたらライブが!あるので!生きます!今学期、いろいろ諦めそうになっているので、やらなきゃいけないことを少しがんばることを目標にしようと思います。ここまで読んでくださってありがとうございました。